死を描いて、生を知る──人生の終わりが教えてくれること

死を描いて、生を知る──人生の終わりが教えてくれること

 

「人生の終わりを描く」と聞いたとき、多くの人が思い浮かべるのは、重苦しさや別れの悲しみかもしれません。たしかに、死は誰にとっても避けられず、静かに、時に容赦なく訪れるものです。

しかし、人生の最後を描きながらも、決して暗くならず、むしろ生きることの素晴らしさを静かに伝えてくれる映画があります。

普段あまり意識しない「死」が、避けがたい現実として自分や大切な人の前に立ちはだかったとき、人は「その瞬間までをどう生きるか」を真剣に考えるようになります。死の先のことは誰にもわかりません。だからこそ、その日が来るまでの時間を、どう過ごしたいのかという問いが、深く心に刻まれるのです。

残された時間が半年でも、1年でも、あるいは50年でも、本質的に変わらないのは「どう生きるか」を問う姿勢です。

今回は、そんな視点を与えてくれる3本の映画をご紹介します。

『最高の人生の見つけ方』

人生の最後に気づいた、大切な人を想うこと

©2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
(出典:https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=2452/

病院の相部屋で出会った、余命6か月のふたり。立場も価値観もまるで違う彼らが、「死ぬまでにやりたいこと」を一緒に叶えていくうちに、少しずつ心を通わせていきます。

スカイダイビングや世界旅行といった派手な冒険は、見た目にはにぎやかだけれど、その奥で描かれているのは、もっと静かであたたかい、思いやりと感謝の物語。モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンという名優ふたりの競演によって、価値観の異なる2人の心の変化や成熟が丁寧に描き出されます。

最終的にふたりが選んだのは、自分のためではなく、誰かの幸せのために自分にできることをするという生き方でした。

死が間近に迫った中で、相手にとって本当の幸せとは何か、最高の人生の終わり方とは何かを考え尽くし、その背中をそっと押してやる。自らの死期が迫る中でそれができる2人の姿に、深く心を打たれます。

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『君の膵臓をたべたい』

「いつ死ぬかは誰にもわからない」──だからこそ、生きるということ

©住野よる/双葉社 ©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会
(出典:https://x.com/kimisui_movie

偶然、クラスメイトの秘密の日記を読んでしまった「僕」は、彼女が重い病を抱えていることを知ります。それをきっかけに、互いの世界にはなかったはずの、ふたりの時間が始まります。

桜のように儚く、それでも力強く日々を生きようとする彼女と、どこか閉じた世界にいた「僕」。この物語は、限られた時間のなかで交わされた短い交流を通して、「生きること」の本当の意味を、静かに問いかけてきます。

先に紹介した『最高の人生の終わり方』が「どう人生を締めくくるか」を描いた作品だとするならば『君の膵臓をたべたい』は「終わりの見える人生さえも、予定通りにはいかない」現実を描いた作品です。

一見すると美しい青春物語のようでもありますが、その主題は深く文学的で、哲学的でもあります。重いテーマを扱いながらも、この映画は決して暗くない。不確かさを抱えたまま、それでも誰かと過ごす時間や、ふとした一言がどれほどかけがえのないものかを、丁寧に描いています。

今この瞬間を、自分らしく、誰かと分かち合って生きていく。「生きる」とは、予定された未来をなぞることではなく、日々の選択と心の交流のなかにこそあるのだと、この作品は教えてくれます。

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『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

ただ、隣の部屋にいてほしい。死に寄り添うということ

©2024 El Deseo, S.A. – Pathé Films – Recorded Picture Company
(出典:https://warnerbros.co.jp/c/news/2024/10/3976.html

自らの余命を悟ったマーサは、かつての友人イングリッドに、ある願いを告げます。誰かの気配を感じながら、静かにその時を迎えたい。私がその決断をする時、隣の部屋にいてほしい。

イングリッドはマーサの願いを受け入れ、ふたりは森の中の家で、終わりが間近に迫った、ただしそれがいつかは分からない、短い日々を過ごし始めます。長く離れていた親友ふたりが、死の終わりをきっかけに、再び静かに交差するのです。

朝、イングリッドがそっと寝室の扉を見に行くシーンが、何度も繰り返されます。扉が開いていれば、まだ生きている。けれど、いつ閉じられるかわからない。その静かな確認の連続に、観る者もまた、毎朝、息を呑みます。

過去のわだかまりも後悔も、その数日間のなかで語られ、受け止められていきます。けれどそこに劇的な赦しや涙はなく、ただ「そばにいる」ということの意味だけが、静かに積み重ねられていく。

もしドアが閉まっていたら、私はもうこの世にはいない

その言葉が胸を打つのは、生きることを続けさせられる時代にあって、死ぬ日を自ら決めるという選択が、どれほど強く、静かな意志であるかを、私たちにまっすぐ突きつけてくるからです。

この作品は、派手な演出や感動で泣かせることはしません。けれど、死を選ぶ者と、死に寄り添う者の間に流れる、言葉にならない静けさと緊張が、確かに心に残り続ける──そんな映画です。

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おわりに

人の命に終わりがあるという事実を、私たちはふだんあまり意識せずに生きています。しかし、限りがあるからこそ、生きている時間に意味が宿るのだと、これらの作品は教えてくれます。

感動ももちろんありますが、それ以上に、自分の生き方を深く見つめ直すきっかけになるはずです。何かに迷い、立ち止まって進むべき道を考えたいとき、ぜひご覧になってください。

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