

万国博覧会(通称:万博)は、世界中の技術や文化が一堂に会する夢の舞台。最先端の発明品も多く、一度は行ってみたいと思うのではないでしょうか?
今回は、そんな万博の誕生秘話やちょっと驚く珍エピソードを紹介します!
万博の始まりは、1851年にイギリス・ロンドンで開催された「ロンドン万国博覧会」。この頃は産業革命が進み、各国が技術力を競い合う時代。最新の発明品や工業製品を一堂に集めることで、世界中の注目を集めようという狙いがありました。
この万博を象徴するのが、まるでガラスの宮殿のような「水晶宮(クリスタル・パレス)」。当時の人々には未来都市のように映り、大きな話題となりました。
(『万博図会』1851年より転載)
Great Exhibition. The Illustrated Exhibitor: A Tribute to the World’s Industrial Jubilee; Comprising Sketches, by Pen and Pencil, of the Principal Objects in the Great Exhibition of the Industry of All Nations, 1851. John Cassell, [1851]. Smithsonian Collections Online: World’s Fairs and Expositions, Visions of Tomorrow
万博がより華やかで、文化的な影響力を持つようになったのは19世紀後半から。特に1889年のパリ万博では、今やフランスのシンボルとなっている「エッフェル塔」が建設されました。でも、当時の芸術家たちは「こんな鉄の塊、醜すぎる!」と大反対だったとか。時代が変われば、評価も変わるものですね。
20世紀に入ると、万博は「未来の暮らしを予測する場」に変化。1933年のシカゴ万博ではロボット「Electro」が登場し、人々は「未来にはロボットが働く時代が来るかも?」とワクワクしました。
日本では1970年の大阪万博が大成功し、携帯電話の原型やウォシュレットなど、今では当たり前の技術が初めて披露されました。
画像ソース: upload.wikimedia.org(ジェレミーノーマンのHistoryofinfomation.comより引用)
ちなみに、1893年・シカゴ万博でで初展示されたもののひとつとして、食器洗い機(食洗機)があります。当時は女性の家事労働を軽減する画期的な発明として注目され、その後の普及により多くの家庭で欠かせない家電製品となりました。
とはいえ、普及するまでにはおそらく100年近くかかっています……。
こんな昔に、すでに食洗機が発明されていたとは驚きです。
ここからは世界中で開催された万博での、知ってるようで知らない驚きのエピソードを紹介します!
エッフェル塔、実は万博後に取り壊される予定だった!
1889年のパリ万博で建設されたエッフェル塔は、もともと「20年後に解体する」計画でした。しかし、通信技術の発展とともに重要な役割を果たすことが判明し、存続が決定。
もし当初の計画通りに取り壊されていたら、今のパリの風景はまったく違っていたかもしれませんね。
エッフェル塔に対抗しようと、シカゴ万博でアメリカが作ったのが、世界初の巨大観覧車!
高さ約80メートル、60人乗りのゴンドラが60台もついた壮大なデザイン。しかし、風の影響を受けやすく、安全面で課題が多いため、結局は解体されることになりました。
(日研データベースより)
「アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにて1893年に開催されたコロンブス万国博覧会.フェリスの車輪(大観覧車)」Copyright (c)2002- International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, Japan. All rights reserved.
アポロ11号が持ち帰った「月の石」が大阪万博で展示されたとき、100万人以上が詰めかけました。しかし大混雑のため、「ひとり5秒ルール」が導入され、「一瞬しか見られなかった……」と嘆く人が続出しました。
日本初の万博として計画されていた「紀元二千六百年記念日本万国博覧会(通称:紀元2600年万博)」は、神武天皇の即位から2600年を祝う国家的行事として計画されていました。東京・晴海を会場として、博覧会の計画は1934年に始まり、1937年には日本万国博覧会協会が設立されるなど、具体的な準備が進められていました。
しかし、日中戦争の影響で開催中止になります。 同時期に予定されていた1940年の東京オリンピックも、同様の理由で中止・返上されています。もし実現していたら、東京の都市計画がもっと早く進んでいたかもしれません。
開催されなかった紀元2600年万博ですが、万博の名残を東京で見ることができます。それは勝鬨橋(かちどきばし)。
各国から船で訪れる人々を歓迎するメインゲートとしての役割として作られたそうです。ゲートを上げて導く勝鬨橋は「万博の顔」となるはずだったのです。
いかがでしたでしょうか?
万博は、未来の暮らしを予見し、驚きの技術や文化が集まる特別なイベント。時代を感じさせるドラマもたくさん生まれました。
2025年の大阪・関西万博では、AIアシスタントや空飛ぶクルマ、バーチャル展示など、未来の暮らしを体験できる企画が満載なんだそう。どんな驚きが待っているのか、今から楽しみですね。