今、話題のNetflixの『極悪女王』。
この作品をみて、Youtubeなどで女子プロレスを検索した人も多いのではないでしょうか?筆者もそのひとりです。
そこで本日は筆者が調べた『女子プロレス』の歴史について紹介していきます!
日本においての女子プロレスの歴史は、1948年2月に東京都三鷹市の小さな道場にて進駐軍相手の興行としてスタートし、歴史的には力道山がプロレスを始めるよりも前に存在してました。
日本の初めての女子プロレスラーの名前は定子さん。
進駐軍にむけてジャズ乗せてボクシングとレスリングをコミカルに演じる「パン・スポーツ・ショー」に出演していました。
アクロバットの芸人やストリッパーが相手選手の腿にはめてあるガーターベルトをはずした方が勝ちというちょっとセクシーなガーター取りマッチ。
今のようにガチンコ勝負というよりは、ドタバタコメディの一環として女同士のファイトだったようです。
コントから始まったプロレスですが、人々はだんだんと真剣勝負を求めるようになりました。
1954年11月には、アメリカからミルドレッド・バーク、メイ・ヤングといった当時一流の女子レスラーを招いて大会場で興行を行い、本格的なプロフェッショナル・レスリングが始まりました。
女子プロレスが最も人気を集めたのは、1970年代から1980年代にかけてです。
とくに人気の火種となったのは「ビューティ・ペア 」。
(©︎TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D))
1970年代に活躍した女子プロレスラーのタッグチームで、ジャッキー佐藤さんとマキ上田さんの二人組で、その美貌と華麗な動き、そして力強い試合スタイルで、多くのファンを魅了しました。
彼女たちは試合前にリング上で歌を歌い、華麗なダンスを披露するなど、従来のプロレスラーのイメージを覆すようなパフォーマンスで注目を集めました。「ビューティ・ペア」は、当時の若者、特に女子中高生を中心に絶大な人気を博し、まるでアイドルのような存在でした。
しかし、1979年にビューティ・ペアは解散。
その後、一度プロレス人気は落ち着きますが、新たなスターが誕生します。
その名も「クラッシュギャルズ」。
クラッシュ・ギャルズは、女子プロレス界に革命をもたらした伝説のタッグチームです。
プロレスだけでなく、バラエティ番組、音楽活動など、幅広い分野で活躍し、女子プロレスを大衆文化の一翼として確立しました。
しかし一番の功績は、プロレスという格闘技のエンターティンメント性をさらに高めたことでした。
リング上でのパフォーマンスや入場シーンなど、視覚的な演出にも力を入れており、プロレスをエンターテイメント要素を多く取り入れました。
またヒールである「極悪同盟」とのリング上内外における抗争と対立構造は観客の感情を揺さぶり、さながらドラマを見ているような錯覚を生み出しました。
余談ですが、この当時から今でも活躍している選手がいます。
それがジャガー横田さん。60歳を過ぎた今も現役でリングに上がり続けるなんて…まさに伝説級です。
ジャガー横田さん
(出典:ワールド女子プロレス・ディアナ)」
全盛期ほどの勢いはなくなりましたが、現在でも女子プロレスは根強い人気を誇っています。
特にグラビアアイドルからの転身やキャラクターの多様化などで、ますます個性豊かなプロレスラーが増えています。
(出典:スターダム)
プロレスのファンの多くは男性ですが、最近は女性ファン、通常「プ女子」も増えてきており、また全税期のような盛り上がりが帰ってくるかもしれません。
【参考】