日本のテレビドラマの”はじまり”を知りたいと思ったことはありませんか?
日本のテレビドラマの歴史を振り返ると、当時の日本の様子を垣間見ることができます。
本記事では、日本のテレビドラマが時代により移り変わりゆく姿に着目してみました。
日本初のテレビドラマは、1940年(昭和15年)4月に計4回放送されたNHK制作の『夕餉(ゆうげ)前』です。
当時はテレビ技術の実験放送という形で行われ、たった12分間という短い生放送でした。
舞台は父を亡くした3人の母子家庭で、一人娘の嫁入り前に最後の夕食を家族で囲みながら思い出を振り返るストーリーです。
当初の脚本にはすき焼きを囲むシーンがあったものの、技術不足により実現しませんでした。
しかしこの試みから、1938年より政府が国民に課した食糧制限を考えると特別に用意された高価な食材だったと考えられ、制作陣の力の入れようがわかります。
なお、ホームドラマの定番である食事シーンは本作の脚本が始まりです。
残念ながら本作の映像記録はなく、制作中の写真や台本、証言のみ現存しています。
日本のテレビドラマが本格的に放送され始めたのは、第二次世界大戦が終結した11年後の1956年からです。
1950年代から1960年代のテレビドラマは、当時出来立てのVTR技術の導入や輸入したばかりのビデオデッキの活用などにより、現在でもDVDで観ることができます。
それでも1950年代はまだ生放送が主流で、ドラマでありながら生放送バラエティのようなハプニングなど臨場感あふれる作品が楽しめた時代でした。
1960年代に入ると高度経済成長の波を受けテレビの普及率も上がり、カラー放送も始まるなど現在の”テレビ”に近い形になり大河ドラマも誕生します。
日本のテレビドラマの歴史を振り返ると、当時の日本社会が見えてきます。
そこで、テレビドラマが誕生した昭和から令和まで年代ごとに人気作品をまとめながら時代を振り返ってみました。
64年も続いた昭和の間には、テレビドラマ界の事情もおよそ10年ごとに変化してきました。
1970年代になるとテレビは当時の「最大の娯楽」であり、家庭だけでなく会社や学校などにおいて前日のドラマが「共通の話題」でした。
当時ターゲットの視聴者層を幅広い年齢にしていたのは、テレビが一家に一台で家族揃って同じ番組を楽しむことが主流だったからだと考えられます。
1964年の東京オリンピックに後押しされたテレビは、日本人の日常へ溶け込んでいくと共に、1972年のあさま山荘事件などの政治的・社会的情勢も積極的に反映し社会派ドラマを多く作り出しました。
ホームドラマにおいても理想的な家庭を描くのではなく、家族の複雑性というリアルな部分にスポットを当て問題提起するようになりました。
日本人にとってテレビドラマの存在が、真新しいものから当たり前のものへと変化した結果だと推測されます。
テレビドラマは1986年半ばから始まったバブル景気の影響を多大に受け、次第に20代の女性たちを視聴者ターゲットにしていきます。
多くの作品では、都会に生きる若者たちの恋愛をテーマに”億ション”と呼ばれた高級マンションに住みながら、華やかな職場できらびやかなプライベートを過ごす姿を描いて若い女性たちの注目を集めました。
そして約31年間続いた平成では、日本のテレビドラマ界は次のように変化していきます。
1991年のバブル崩壊後、就職氷河期や日本を震撼させる事件、大地震が起こったことを受けてよりシリアスな社会派作品が多く誕生する中、”観ていて疲れない”恋愛やコメディの作品が次第に人気を得ていきました。
また等身大の恋愛模様が好まれるようになり、2000年には社会派ドラマから恋愛や学園モノ、ミステリーまで様々なジャンルの作品が生まれました。
ここでも派遣やフリーターの増加といった社会状況を反映した作品が登場したのは、高い視聴率を取るには視聴者からの共感を得ることが近道だと制作陣が判断したからでしょう。
少し長くなってきましたので、次回は令和の人気ドラマ〜海外ドラマまでご紹介します!
後編もお楽しみ!