甲子園は、日本全国から集まる高校野球ファン達の熱狂で有名な場所です。ところで甲子園(高校野球)の応援団はいつから、どのように始まったのでしょうか?
今回はそんな応援団の歴史を調べてみました!
応援団の起源を探ると、そのルーツは古代ギリシャやローマにまで遡ります。古代オリンピックやローマのコロッセオでは、観客が選手を応援し、士気を高めるための歓声や応援歌が存在していました。こうした文化が次第に世界中に広がり、各国のスポーツイベントで応援が一般的になりました。
日本でスポーツの応援団が本格的に形成されたのは、明治時代以降のことです。西洋文化の影響を受け、近代スポーツが普及し始めると同時に、応援団の文化も芽生えました。
そして昭和初期、当時の学生たちは、自分たちの学校を代表して熱狂的に応援する文化が芽生えていました。特に、1924年の第1回全国高等学校野球選手権大会(甲子園大会)の際に、各学校から集まった学生たちが、チームの士気を高めるために独自の応援スタイルを考案したことが応援団の始まりでした。
当時はまだ高校への進学率も低く、そのため高校(当時でいえば中学校あるいは商業高校)へ進む学生達はいわばエリートであり、そうした学校が甲子園に出場するのは「誇り」だったため、甲子園にでる選手達を学生総出で「応援する」のは当たり前だったのかもしれません。
初期の応援団は大学の応援団を真似たもので、校歌の合唱などシンプルなもので、戦前は学校数も少なかったし、中等学校野球の応援もそれほど派手ではなかったようです。
「応援団」の活動が本格化するのは、戦後になり高校進学率も高まっていくことで、甲子園の参加校も急増。そんな中で、学校それぞれの応援スタイルも確立されていきました。
実は甲子園の応援団では見ることがない応援スタイルがあります。
それはオーボエ・ファゴット・バスクラリネット・コントラバスの演奏。
応援団といえば、吹奏楽ですが基本的に上記の楽器は日差しや雨に弱いので、夏の天気と相性が悪く応援団の演奏でも使われることはありません。
また、以下の応援がNGとなっています。
・指揮台(スムーズな移動のため)
・ぬいぐるみ(等身大以上)
・着ぐるみ、郷土民族衣装着等
・大漁旗
・ノボリ
・紙テープ・カイ吹雪、ゴム風船
プロ野球では見ることができても、甲子園ではNGです。やはりエンターティンメントよりも選手の成長を重んじる教育的な意味を持つ甲子園ならではの規律ですよね。
いかがでしたでしょうか?
甲子園の応援団の起源を振り返ると、学生たちの情熱が結集し、今日の応援文化が形成されてきたことがわかります。今年の甲子園は選手だけでなく、応援席にもぜひ興味を持っていただければ嬉しいです!