みなさん、不思議ではありませんか?
世界中の絵画は何億とある中から、だいたい思い浮かべる名画といえば、
「モナ・リザ!」
ダヴィンチの代表作であるこの「モナリザ」は、ルーブル美術館に収蔵されており、美術史上最も有名な絵画の1つと言われています。
そこでふと思うのです。「モナ・リザ」がなぜ「世界一の名画」と呼ばれるようになったのは、きっと理由があるのではないかと…。
ということで、「モナ・リザ」が世界一の絵画と呼ばれるようになったのかの経緯を調べてみました!
本作は別名「ラ・ジョコンダ」と呼ばれ、当時の豪商フランチェスコ・デル・ジョコンドの2人目の妻、リザ・ゲラルディーニがモデルと言われています。
しかしそれはただの諸説であり、ガッレラーニのいとこで芸術家のパトロンだったイザベラ・デステ(イザベラ・グアランダ)だという説もあるそう。たびたび誰がモデルだったのかの議論が巻き起こり、2013年にはリザ・ゲラルディーニの遺骨が発見され、モナリザと照合する…ということも行われたようです。
残念ながら結果を調べても出てこずでしたが…モデルが誰かわからないことがミステリアスであり、研究家たちがずっと注目する理由なのかもしれません。
「モナ・リザ」が世界的な名声を獲得した理由の一つは、その謎めいた微笑。絵画の主題である女性が微笑んでいるように見えるが、その微笑みの真意がなんなのか未だ解明されていないようです。
数多くの研究者がその意図を追求し、無数の意見があるようですが答えはダ・ヴィンチのみ知る…。この謎めいた微笑が、絵画に深みと神秘性を与え、見ている人の心を掴んで離さないのかもしれませんね!
レオナルド・ダヴィンチは、この作品で独自のスフマート技法(sfumato)を駆使し、色彩や光の表現において驚異的なレベルのリアリズムを実現することに成功。特に肌の質感や微妙な光の表現は、当時としては革新的であり、後世の芸術家にも大きな影響を与えたとのこと。
でも、これだけだと技術を理解できる人にしか有名にならなそうな…。さらに調べると以下のことが判明しました。
16世紀初頭に、フランス王フランソワ1世は、「モナ・リザ」を非常に愛し、自分の王宮に飾っていたんだそう。王様のお墨付きということで、当時の美術家たちから一目を置かれたのかもしれません。
その後、19世紀になってからの美術評論家や芸術愛好家によって再評価され、フランスのロマン主義美術家たちや印象派の画家たちが、本作品を高く評価し、その魅力や技術的な優秀さを称賛しました。彼らの影響により、「モナ・リザ」の名声は更に拡大し、世界中の美術愛好家や一般の人々に知られるようになったみたいです!
「事件」として有名なのは、1911年の盗難事件。1911年8月21日の夜、ルーヴル美術館からモナリザが盗まれました。犯人は、美術館が閉館した後に「モナ・リザ」の部屋に侵入し、絵画を盗み出す事件が発生しました。
この盗難事件は当時、世界中で大きな話題となりました。その際に前述したように、絵画が持つ謎めいた微笑みやダヴィンチの天才的な技術によって描かれた美しさが、事件の注目を高めました。
警察や捜査機関は、犯人や絵画の行方を追いましたが、しばらくの間、モナリザは行方不明のままだったようです。しかし約2年後の1913年12月に、イタリアのフィレンツェでイタリア人美術愛好家のヴィンチェンツォ・ペルーグリアが逮捕され、「モナ・リザ」をようやく発見。「モナ・リザ」は無事にルーヴル美術館に返還され、盗難事件は解決しましたが、この事件は美術史において大きな出来事として記憶されているみたいです。
最近でも「モナ・リザ」にスープをかける事件など、とにかくなんでかわりませんが、トラブルに巻き込まれる。
そのことによってニュースになり、またモナリザが人々の記憶に深く刻まれているのかもしれません!
この作品は世界中で模倣され、パロディ化され、様々な形で引用されています。日本でも「モナ・リザ」をモチーフにしたアイテムなど、結構見かけますよね。こういった模倣・パロディーがさらに彼女の人気を高めているのかもしれません!
以上になります!
個人的には、「モナ・リザ」が盗まれていたことが衝撃的でした。泥棒すらも魅了する「モナリザ」。ちなみに最近、ルーブル美術館ではあまりに「モナ・リザ」が有名なため、この作品だけを置く部屋を作ろうという動きがあるようです。
やはり他の作品とは一線を画す「モナ・リザ」。
彼女を見に一度ルーブルに行ってみたいですよね。でも昨今海外旅行は高くて…。というそこのあなた!朗報です!ルーブルではすべての所蔵作品をデジタルアーカイブ化しているので、モナリザ今すぐみれてしまいますよ!
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