エンタメ界が注目!ドラァグクイーンの秘話

鮮やかなドレスとウィッグに目元が印象的なメイクを纏い、華やかなパフォーマンスで観る人を魅了するドラァグクイーン。元々はアンダーグラウンドでパフォーマンスを行っていたドラァグクイーンですが、現代では表舞台でも活躍の場を広げています。

ドラァグクイーンの勝ち抜きコンテストをテーマにしたNetflixの人気リアリティ番組『ルポールのドラァグレース(RuPaul’s Drag Race)』は、2024年現在までに、世界最高峰の賞として知られるエミー賞を8年連続で受賞する快挙を遂げています。

LOS ANGELES, CALIFORNIA – JANUARY 15: RuPaul accepts the Outstanding Reality Competition Program award for “RuPaul’s Drag Race” onstage during the 75th Primetime Emmy Awards at Peacock Theater on January 15, 2024 in Los Angeles, California. (Photo by Monica Schipper/WireImage)

Netflixリアリティ番組『ルポールのドラァグレース』のエミー賞受賞式での様子
(出典:2024 Monica Schipper/Getty Images

 

最近では2024年パリオリンピックの開会式でも、ドラァグクイーンが登場し話題になりました。

パリオリンピック開会式でのドラァグクイーン
(出典: https://www.youtube.com/watch?v=onP5-DKSbI4

 

今回は、このように様々なエンタメ領域で活躍するドラァグクイーンの魅力やその成り立ちに迫ります。

ドラァグクイーンの歴史

ドラァグの由来

社会的マイノリティであったドラァグクイーンに関する記録は限られているため諸説ありますが、「ドラァグ(drag)」という名称は、シェイクスピアの舞台に由来するそうです。

シェイクスピアで女性役を演じる男性役者(左)
(出典:Universal History Archive/UIG/Shutterstock

16世紀ごろのイギリスでは、女性が舞台に立つことが許されておらず、当時英国で人気のあったシェイクスピアの舞台では男性が女性役を演じていました。男性俳優が女性役を演じる際、着ているドレスを床に引きずっていた「ドラァグ(drag)していた」ことから意味が派生し、ドラァグという言葉は「女装すること」へと変換されました。この言葉はその後、現在の「ドラァグクイーン」の名前の由来にもなったそうです。

タブーでも高い人気を誇るドラァグ文化

ドラァグの名前の由来と同じく、各国でドラァグクイーンがどのように生まれてきたのか、謎に包まれたところも多くありますが、今回はアメリカにおけるドラァグ文化の誕生についてご紹介します。

人種・性差別がまだまだ顕著であった1970 年代初頭、アフリカ系やラテン系のLGBTQコミュニティでは、各々が「なりたい姿」でダンス等のパフォーマンスを披露し、自由な自己表現ができる場「ハウスボール」を設けていました。そこで様々なサブカルチャーが育まれたのです。このLGBTQコミュニティにおけるハウスボール誕生のきっかけは、1800年代まで遡ります。

南北戦争後の1870年頃(日本の明治時代初期)、アフリカ系アメリカ人が多く住むニューヨークのハーレム地区にある「ハミルトンロッジ710号館」で、ハウスボールの起源となるドラァグボールが定期的に開催されるようになります。ドラァグボールにおける参加者の人種や性別は様々で、男性の服を着て参加する女性もいました。主な見どころは、典型的な女性の姿を装い審査員団にドレスや体を披露する男性でした。

View of a line of drag performers onstage as they compete during a beauty contest, New York, New York, February 20, 1967. Among those pictured are Miss Manhattan, Miss New York, Miss Delaware County, Miss Brooklyn, and Miss Fire Island. (Photo by Fred W. McDarrah/MUUS Collection via Getty Images)

1960年代のドラァグクイーン
(出典:1967 Fred W. McDarrah/Getty Images

 

ドラァグボールは数十年に渡り開催され人気が高まる一方で、社会的偏見などからこのような場を良く思わない人も増加していきます。その結果、20世紀初頭までにドラァグボールは違法かつタブーとして見なされるようになり、ボールの開催場所はハミルトンロッジ710号館からアンダーグラウンドへ移りました。

しかし、ニューヨーク公共図書館のドラァグボールに関するエッセイ集によると、場所を移った後もドラァグボールは人気を博し、数十年のうちに観客は数千人も増加したという記録があります。当時も現代もドラァグクイーンは偏見や逆境にも負けず、様々な人を魅了してきたことがわかりますね。

アンダーグラウンドからメインストリームへ

当時のアメリカで違法とされていたのはドラァグボールだけではなく、同性愛も違法とされていました。そのため、多くのゲイバーが酒類販売免許なしで営業するようになり、次第に警察による強制捜査や暴力行為も起こるようになりました。

ニューヨークで人気のゲイバーであったストーンウォール・イン(Stonewall Inn)も警察による強制捜査を度々受けており、遂に1969年6月28日からの6日間、警察とLGBTQ+抗議者がストーンウォール・インの店前で衝突する『ストーンウォールの反乱』が起こります。この出来事によりLGBTQ+の人権問題がメディアでも注目されるようになり、毎年6月には各国でプライドマンス(Pride Month)として祝われるようになりました。

1990年代にはニューヨークのハーレム地区におけるアフリカ系・ラテン系アメリカ人のドラァグボールを記録したドキュメンタリー『パリ、夜は眠らない(Paris is Burning)』や、マイアミのサウスビーチ地区でドラァグキャバレーを経営するゲイカップルを描いたコメディ映画『バードケージ(The Birdcage)』が上映されるなど、ドラァグがメインストリームに持ち込まれるようになりました。

ドキュメンタリー『パリ、夜は眠らない』
(出典:1990 THE CRITERION COLLECTION

 

多様化するドラァグクイーン

以前のエンタメでは白人男性のドラァグクイーンが多く注目を受けていましたが、現在活躍するドラァグクイーンはルーツも性別も様々です。

アフリカ系アメリカ人であるルポール(Rupaul)は、Netflixリアリティ番組『ルポールのドラァグレース』などのプロデューサーや司会を努めるドラァグクイーンの大御所です。また、同番組に出演し一躍有名になったヴィクトリア・スコーン(Victoria Scone)は、数少ない女性のドラァグクイーンです。

ハリウッド映画やドラマに出てくるドラァグクイーンを含むLGBTQ+の役は、まだまだ白人男性のゲイであることが多いです。しかし、ルポールやヴィクトリア・スコーンのようにLGBTQ+の中でもさらにマイノリティとなるパフォーマーが活躍することで、エンタメで取り上げられる役の多様性が広がると良いですね。

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